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リバ厨腐女子ママの考えたこと。

腐女子、創作、セクシュアリティ。

内なるホモフォビア、内なる腐女子フォビア

 

オーランドのゲイクラブ(実際にはレズビアンやその他のセクシュアリティの人もいる、ゲイが多いナイトクラブだったらしい)『パルス』が襲撃されてニュースになっていましたね。

花璃です。

100人規模の死傷者を出した史上最悪の『ヘイトクライム』って言われていましたが、亡くなったアフガニスタン系アメリカ人の容疑者がゲイだったと思う、という複数の証言が出てきているらしく……

 

www.asahi.com

 

この記事の一番最後にある、

マティーン容疑者は、同性愛者を嫌う発言をしていたとされ、父親は「数カ月前、マイアミを訪れた際に同性愛の男性カップルが子どもたちや家族の前でキスをするのを目撃し、ショックを受けたようだった」と語っている

という文言から、家庭の状況が偲ばれて、なんだかつらくなりました。

あちゃ〜〜って。

もしお父さんが言う通り、彼がショックを受けたように見えたのなら、

「なんだ!男同士でキスなんかして気持ち悪い」

ってお父さんが言外に(もしくはひょっとすると口に出して)思っているのが伝わってそのことにショックを受けていたんでは?

と思ってしまいました。

 

下衆の勘繰りならぬ、隠れ腐女子の勘繰りかもしれませんが。。

 

彼の殺したかったのはゲイクラブにいた人たちではなく、自分の中のゲイだったのかもしれない。

そう思いました。

 

以下、今回の事件についての自分の想いを書きます。

 

 

わたしは、たまに小説らしきものを書いています。

小説には人が出てくるわけで、人間に興味がないわけじゃないと思うし社交性がないわけじゃないと思いたいけれど、人間嫌いというか人付き合いが死ぬほど面倒くさいです。

 

新年度からママ会にちょこちょこ顔を出しているのですが、自分では意識していないのにママ会から帰ってくるとすごく機嫌が悪いらしく主人に、

「花璃ちゃん、もう行かなくていいよ……」

と言われ、すごくホッとしました。

ママ会は、行ったら行ったでそこそこ楽しい(楽しくなくても、有用な情報も色々入ってくる)のですが、わたしのような末端ママの出てくるママ会なんてものはママ総会みたいなもんで、皆さんママ会のない日はそこここで少人数で集られております。

なので、ママ会は最低限の母の嗜みだと思っているし、行かなかったら行かなかったで、

「行かなくていいのかな……」

とか、

「うわ〜〜、あかん、なんつー駄目母……」

とか自己嫌悪に陥りそう。。(割と強迫的な性格です)

楽しくないことはないんだけど、すっごく気疲れするんですよね。

普通のママに擬態するのは!

 

普通のママってなんだろうって思います。

仕事してるときはそれなりに個性を認めてくれる人も居たのに、母親になった瞬間

『母親』

という枠で見られる。

それよりも何よりも、

「それぞれに違う人間なんだから、人それぞれで当たり前でしょ?」

って思ってるくせに、わたしの脳内に染み付いた

「ママはこうあるべき!」

がわたしを振り回すのがつらいです。

わたしの

「人並みの母親ではない」

というコンプレックスは、

腐女子だから」

っていうこともあるけれど、そもそも自分が

「人並みではない」

っていう不全感からきていると思う。

 

わたしは何回も腐女子を一抜けしていて(脱腐というそうです)、その度に、出来ればこの先の人生は腐抜きで生きていくって思ってました。

まぁ、でも腐抜きのわたしは文字通りの腑抜け。

普通に生きてるつもりなんだけど、自分の

「人並みでなさ」

がすごくずっしりのしかかるんです。

 

わたしは隠れ腐女子だし、これからもずっと隠れて、表向きは普通のお母さんとして生きていきたいと思っています。

出来るだけ綺麗にして、出来れば仕事をして、子どもの教育もちゃんとしてあげたい。

取り繕ってるなぁ、見る人が見たら(特に自分)が見たらアウトでしょ。っていつも思う。

それは、ときに自分に嘘をつくことかもしれないし、嘘をつかないまでも秘密を抱えていることで、気楽にママ友に馴れ合えないのでとても孤独です。

だけど、「普通のお母さん」になりたいわたしもわたしだし、「腐女子」のわたしもわたしだから、これでいいんだと思っています。

「普通のお母さんになりたい腐女子のわたし」を知っている人が、数は少ないけれど一応居て、「普通のお母さんになりたいけれどなれないわたし」を支えてくれているから今のところ破綻なく生きていけている。

実際には、わたしが「普通のお母さんになりたいけれどなれない」のは、「腐女子だから」だけじゃない。っていうのも分かっています。

途方もない不全感があって、埋められない。腐女子であるというのは、その不全感のひとつにすぎないんだと思っています。

不全感っていうのは要するに、

自己肯定感が低い

っていうことなんだと思います。

親との関わりで、足りない部分を指摘されることが多かった人は、自己肯定感が低くなりやすいらしいです。

わたしは自分の親を責めたくはないけれど、わたしの両親の見せてくれた

「普通」「常識」「人並み」

のサンプルはわたしにはハードルが高すぎました。

わたしは、その普通には一生辿りつけないし、それを両親に突きつけることもできない。

この不全感は埋められないけれど、創作することで、現実と自分のバランスをとっている、そんな気がしています。

 

冒頭の、ヘイトクライムの話に戻りますが、

親にも受け入れられない自分の性癖を自分で受け入れるのはすごく難しいと思う。

長い間腐女子の自分を殺したかった隠れ腐女子の自分を、重ねてしまうだけかもしれないけれど。

 

同じ日本人の親子でも、違う世代の、違うパーソナリティーの人間を認め育てていくことは難しい。

(実際、自分で子どもを育てていて、ぞっとします。)

 

アフガニスタンからの移民の親子の、人生の晩年に異国アメリカに難民として渡った(と思われる)父と、思春期をアメリカで過ごしただろう息子。

全く違う価値観で育ち、ただでさえ世代間のアメリカ受容についての相克があるのに、ゲイという自分でもどうしようもない性癖を抱え込んでしまった息子。

デートアプリで相手を探しながら、誰とも深入り出来ず、彼はずっと絶望の中で生きていたんじゃないかと思わずにはいられませんでした。

ゲイである自分はどうしようもなく、父親は息子をゲイだとは知らないが、彼のゲイに対する価値観は「あってはならないもの」であり、息子がゲイだということを受け入れられないだろうことは明白だった。

そして、その父親を切り捨てられない程度には、息子は父の故国、アフガニスタンの価値観に生きていたのだと思う。

心理学でいうエディプスコンプレックスは体現するとこんな形になるのだろうと思います。心のなかの父親を殺して、現実と折り合っていければ良かったけれど、彼の周りには、彼が現実に向き合う為の、現実と折り合う為の手助けをしてくれる人間がいなかった。

 

彼の孤独と自分を比べるのはおかしいけれど、わたしには創作があって、本当に良かったと思います。

自分の創作を受け取ってくれる人はもしかしたらいないかもしれないけれど、少なくとも、創作はわたしを受け止めてくれる。

基本的に、創作は自分の為にするものだから、読んでもらえるだけで嬉しい。そういう気持ちを忘れないようにしよう。そう思いました。

自分のなかのゲイを殺せなかった、絶望した彼の最初で最後の創作が、今回の事件だったのだとしたら、なんて哀しい。なんて悲惨なことでしょう。

彼は自分の性癖であるゲイを殺せない代わりに、実在するゲイの知り合いたちを殺そうとした。

 

絶望に背を向けてから騒ぎしてるっていう点では、朝から晩まで「尊い尊い」と言って、推しのエロ話してる腐女子Twitterもゲイのデートアプリやクラビングみたいな(失礼←)Vanity Fairなのかもしれない。と思いました。

 

孤独なんです。でもその孤独はきっと自分の内側に理由があるの。

 

彼に見えていたゲイクラブのキラキラした喧騒の正体は、Vanity(虚無)だったってことを教えてくれる人が、彼と孤独を分かち合う人がいなかったかもしれないってことが、とてもつらかった。

彼は自分の乱射した銃でそのVanityを暴いて、満足したのでしょうか?

 

だとしても、あまりにも救いのない、哀しい結末だった。

この事件をISISのテロとしてだけで片付けてはいけないと思う。

寧ろ、ISISの実体が、移民先の国で受容されなかった(主にムスリムの)子どもたちの受け皿になっている。

彼らが実際はムスリムの教義が云々、というよりは自分が受容される場所を求めていることを無視してはいけないと思う。

 

人を受容するということは、自分自身が受容されていない場合には、あまりにも難しい。

自分にとって、創作するというのは自分を受容する手段で、創作をするから人と向き合えるんだと思います。

「生きてるだけで丸儲け」

だった時代が終わり、

「どう生きるか」

を評価される時代に、インターネットを通して、こうやって創作の裾野が広がるのは悪いことではないと思います。

日本の腐女子は戦闘員になり不毛な殺人を犯すことなく、承認欲求剥き出しのTwitterの同人アカウントで仲良しアピール義理買いエア感想、かまってちゃんハッシュタグで作家ごっこ、たまに嫌いなアカウントをスパブロするわけですから。

Twitterで自分が多少殺伐としても仕方がないと思おう。変態合戦もマウンティングもただ「受容されたい」っていうメッセージなのかも知れない。

モブレが流行るのも「受容されない」という諦めなのかも知れない。

(わたしは受容したくないけれど。)

人を受容しよう。

受容できなくても寛容しよう。

 

 

ご冥福をお祈りします。

犠牲者の方々と、そして、絶望の中で、自分の内なる宿命を殺したかった一人の男性に。

 

花璃。