リバ厨腐女子ママの考えたこと。

腐女子、創作、セクシュアリティ。

地雷は性癖の鏡:受容・許容・寛容・不寛容について

 

Hello, everybody!!!

リバ厨腐女子の花璃です。

一個前のエントリーどうしちゃったんでしょうね?

賢者タイム

 

う〜〜ん。

なんか場違いかなぁと思ったけれども、書かずにはいられなかったのでそのままにしておきます。

 

fujoshimama.hateblo.jp

 

あのエントリーを書いた後、地雷地雷言っている自分のことをもう一度振り返ってみました。

自分が地雷だと思ってしまうもの(思っているのではなく、DNAレベル?で受け付けられないもの)のことを受容しなければならないのか?

って。

今日は、それについて少し考察してみます。

 


 

 

受容する、許容する、寛容するっていう、言葉の意味を調べました。

 

まず、『受容』とは。

kotobank.jp

受け入れて、取り込むこと。(デジタル大辞林

だそう。Twitterでいえば、一応Tweetを読むとか、いいね♡するとか、そういうことかな?

 

次に、『許容』とは。

kotobank.jp

そこまでは良いとして認めること。大目に見ること。

その程度なら良しとして、許して受け入れること。(デジタル大辞林

 

最後に、『寛容』とは。

kotobank.jp

心が広くて、よく人の言動を受け入れること。他の罪や欠点などをきびしく責めないこと。また、そのさま。(デジタル大辞林

基本的には政治用語のようです。 

特定の宗教、宗派やその信仰内容・形式を絶対視して他を排除することなく、異なった立場をも容認すること。寛容される側からすれば信教の自由に相当する。寛容は単に個人の徳目(心の広さ)ではなく、むしろ社会的な次元にかかわり、宗教と政治ないし国家との接点で生じてくる問題である。歴史上、寛容もその反対の非寛容も多くの実例があるが、一般に同一の社会(地域)内に複数の宗教が並存するようなところでは寛容の傾向が強く、いずれかの宗教が優位にある場合、非寛容への条件が与えられているといえよう。(ニッポニカ)

↑これは、すごく面白いなーと思いました。

日本人って一般的に、不寛容の傾向が強いですよね。

『出る杭は打たれる』

って、いうのはどこの国にもあることだと思いますが、異質なものに対する排除の傾向はやはり、強いと思う。

 

「自分が何をしたいか」

よりも、

「みんなやってるから〜〜」

「みんなと同じようにしなきゃ」

って、割とマイペースな方だと思うわたしでも思わされる。

例えば、育休が取りにくい、とかもそれじゃないかなぁって思います。

ちなみにわたしは、妊娠と同時に退職しましたが。(正確に言えば退職勧告された)

 

『和をもって尊しと為す』

っていうのは悪いことじゃないけれど、和に馴染みにくいものを文字通り爪弾きにして

幼稚園から始まる制服ライフや東大文Ⅰ卒がデフォルトすぎて出身高校を自己紹介する官僚ライフに至るまで、同質均一な共同体が当たり前に思われてるけど、どこに行っても日本語が使えて、誰に話しても日本語でOK!!(東京の一部を除く)なんていうのは日本だけ(?)なので。

言葉が通じない隣人と分かり合えなくても共存しなくてはいけないとか、そういう感覚が育ちにくいのは仕方がないのかなぁと思います。

自分と同じ(ような)バックグラウンドの人以外への無理解が凄まじい為に、自分のものをこそ、「唯一絶対」「普通」「当たり前」のものと思い込んでいるというか。

 

例えばこの記事の

www.asahi.com

 

党の会合で「性的指向の多様性を受け入れる社会を目指すということは、同性愛者から告白されたら、受け入れないといけないのか」との声があがったことを受け、問答集にはあえて「個人間の恋愛感情を受け入れるかどうかは全く別の問題」と記した。

 

こういう部分。

同性愛者を自分と同じ土俵で考えていないからこそ出てくる声だと思います。

例えばアイドルがキモヲタに告白されたとして、

「ありがとう嬉しい♡」

って言うのが受容。

にっこり笑って

「ごめんなさい♡」

が寛容。

「キモヲタ死ねよ!」

とか

「ブサイク鏡見てこい!」

っていうのが不寛容や拒絶に当たるのかなと。

 

歩けば地雷ばかりでネット引き籠りのわたしも、どうすれば人に寛容になれるかな?って考えたけれど、わたしの結論は、まずは

受容しなければならない、受容出来ない、

っていう自分のストレスをなくすことかな?と思いました。

受容できない自分を受容するというか。

「あーこれ苦手だ」

って気がついて回避するか、最低限の接触で済ませればいいのかな?

(具体的な方策が思いつかなくて申し訳ないです)

「地雷を克服したい」

とは思わない方がいいです。

結局、ストレスが増しすぎて、前述の銃撃事件みたいな悲惨なことになります。

 

基本的には、SNSは人に優しくできるというか、人を受容する余裕のある人向きのツールだと思う。

個人の自由だしやっちゃ駄目だとは言わないけれど、優しくされること、受容されることを求めてる人ばっかりだとうまくいかないのは当然じゃないかなーと思います。

個人的な見解ですが。

 

「他人は自分の鏡」

っていうけれど、

「地雷は性癖の鏡」

っていうのも言えると思う。

わたしは地雷が増える度に自分の性癖が固まってきた自覚があります。

 

地雷を見つめ直そう。

自分の萌えの裏返しになっているかもしれないから。

但し、地雷性癖への寛容を忘れずに。

 

花璃。