リバ厨腐女子ママの考えたこと。

腐女子、創作、セクシュアリティ。

腐女子のカタルシス・カテクシス②(ギリシャ系腐女子とルネサンス系腐女子)

花璃です。

今日は、このはてな匿名ダイアリー↓についての

anond.hatelabo.jp

このエントリー↓の続きです。

fujoshimama.hateblo.jp

 

 

前回のエントリーでは、簡単に言うと、カタルシスには

ルネサンスカタルシス

=感情を純化し、芸術として昇華する

ギリシャカタルシス

=感情を垂れ流した結果、感情が浄化される

の2種類があり、受け手によって①を好む人と②を好む人がいるという話でした。

①のルネサンスカタルシスを好む人間というのは、

①'う○こからダイアモンドを作り出す錬金術の信奉者

であり、

『綺麗なう○こ』という幻想

を追いかけている人種です。②のギリシャカタルシスを好む人間というのは

②'「うんうん、う○こ出すときってめちゃめちゃ気持ちいいよね、わかる(・∀・)」

という人種です。狼の雄叫びが、一匹が始めるとだんだん他の個体も始めて感染していく様に似ているかな。

動物としての人間の根源的な本能により近い形の感情の発露を気持ちよく感じる状態なのだと思います。

そう考えると、以前このエントリー↓で疑問に思っていたケツ穴系腐女子

fujoshimama.hateblo.jp

ギリシャカタルシスがわたしには受け付けなかったんだなぁ ´д` ;

「愛してる」多用系創作も結局は、

『「愛してる」という名のう○こ』

で気持ちよくなっちゃうってことだったのか。。↓

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女体化も全然理解できなかったけど、今なら分かる↓。

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自己投影系女体化好きな人とは目指すところ、というよりも

「気持ちよく感じる部分」が違う

んだわ。

fujoshimama.hateblo.jp

生理的な気持ち良さと、精神的な気持ち良さというか。。

(よく分からん ´д` ;)

 

多分、昔は創作物を発表する敷居が高かったから、ルネサンスカタルシスの人の創作にしか触れなくて

「創作ってそういう物(ルネサンスカタルシスの産物)」

だと思ってたけど、SNSの時代になって作品を発表するハードルが下がった結果、

ギリシャカタルシスの産物が溢れるようになった

んだろうと思います。

fujoshimama.hateblo.jp

わたし自身はギリシャカタルシスを好まないけれど、現状においては

創作=ルネサンスカタルシス=綺麗なう○こ

という思い込みは時代遅れだし、老害腐女子の感傷にすぎないから、

ギリシャカタルシス=集団う○こも創作である

ということを認めて生きなければならないのだと思います。

 

既に出版から17年も経っていますが、東浩紀氏の『動物化するポストモダン』が指摘していた

言語活動の『動物化

が確実に腐女子の二次創作同人界にも起こったんだなぁと思う。

 

わたしは一介のアマチュア作家として

自分の葛藤を昇華する錬金術としての創作

を信じてきましたし、今も信じています。

が、時代や人によって創作の定義や形が変わることは確かだし、それはわたしがジタバタしたところでどうしようもないことなんだと思います。

「こんなう○こ垂れ流しやがって(#^ω^)ビキビキ.」

って思ってたけど、それはわたしの傲慢だったのだとつくづく思いました。

今度からは、吐き気を催すような気持ち悪い創作を見た場合は、

「あ、ギリシャ腐女子の方なのね♡」

と思って笑顔でスルーすることにします。

自己愛満載の変なファンレター(?)をもらった場合は

「ワタシ、ギリシャ語ワカリマセーン(*゚▽゚*)/」

というテイで(?)黙殺しようと思います。

こんな感じ↓。

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*イズムィコ先生の回答はいつも神すぎる♡*

クソリプ

とか

「ネタにマジレス」

とか言うけど、最近は読み手からのお手紙も取り留めなくて返事のしようがなく頭抱えることが多いです。

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コミュニケーションが手段でなく目的化している

んだろうなぁ(*狼の遠吠えと同じ。*)

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ルネサンス腐女子は原始化した現代SNS祭り文化には馴染まないかもしれない。だけど時代遅れだからって泣かない( ;  ; )

動物だけど動物としてだけは生きられない、

人間という生物のややこしさを愛する近代人だから♡

 

花璃。

 

ルネサンスが近代の始まりかどうか、中世の範囲なのかということについては諸説あるそうですが、西洋的な近代的な『ヒューマニズム』の礎になったことは確かだと言われています*