リバ厨腐女子ママの考えたこと。

腐女子、創作、セクシュアリティ。

htr高尚字書きが承認欲求を拗らせるメカニズム。

高尚主腐字書きです。こんにちは( ´ ▽ ` )ノ

(実際にはもう書いてないけど;)

 同人に片足突っ込んだことある方ならわかると思いますが、(わたしも含め)同人字書きには人格地雷奴がめちゃくちゃ多い

昔、地雷持ち腐女子botか何かの有名ツイートにこういうのがありました。

【人格が地雷度】
高↑
字書きの友達しかいない字書き
友達がいない字書き←ワタシイマココ(自己紹介)New!
絵描き(htr)の友達がいる絵描き(htr)
絵描きの友達がいる字書き
友達がいない絵描き
絵描きの友達がいる絵描き
字書きの友達がいる絵描き
低↓

絵描きさんには人間として機能するギリギリな人も散見されます(生活能力・自己管理が壊滅的なADHD)が、一見普通そうに見えて

陰険・嫉妬・陰口・htr・吉牛連れション中学生

みたいな人は大体字書きですね。(陰口Skypeしながら集団で人のホームページに凸る奴マジで○んで欲しい。←ブロックした相手に凸られた経験あり)

今日はなぜ同人時書きがhtr・高尚・承認欲求を拗らせるのかを考察したいと思います。

 

 

 

①作家様根性

文章が書ける(と自分では思っている)字書きによくある精神状態です。

anond.hatelabo.jp

■絵が描けないから小説書いてます」とか


よく言えるよねって思う。

私はいわゆる字書きをしている。この場合は小説で同人活動をしているという意味だ。

なんでイラストでも漫画でもなく字書きになったかというと、小さい頃から字がいっぱいある本が好きな活字中毒気味の子どもだったから。小学校高学年くらいの時点で読書量は断然小説>>>>>漫画だったし、学級だよりに文章が採用されたり、作文が全然苦痛じゃないタイプだったので、二次創作を自分でもやってみたいと思った時の選択肢は字書きしかなかった。

生産する側としてはずっと字書きだけど読む側としてはイラストも漫画も小説も全部見る。それで小説書いてる人が「絵が描けないから小説書いてます」みたいなこと言ってると本当にがっかりする。

がっかりというか、なんか心の中にそのまま言葉にしてはいけないものがこみ上げてくる。

まず一つ目。

絵が描けないって言っても、それは「両手が不自由だから。文字入力ならできるけど」とかの理由で物理的に描けないという意味であることはほとんどないと思う。だって絵を描くだけなら手を自由に動かせて筆記用具と紙があればできるじゃん。△の下に□を描いて家!これだって絵じゃん。

だからそういう人たちの「絵が描けない」は「自分の頭の中にあるものを人に見せて恥ずかしくないクオリティで絵として表現できない」の意味なんだろうけど、じゃあそれは小説ならすぐできると思うの?ってなる。

絵を描く人たちだって、最初から自分の頭の中にあるものを自由に表現できたわけじゃないよね。もちろん小説だって最初から思うように書ける人だけじゃない。

絵は努力しないと描けなくても小説なら自分でも書けると思ったの?努力が嫌で楽な方選びましたって宣言して恥ずかしくないの?

描けないっていうのは才能じゃなくて環境の話なのかな。タブレットとかペイントソフトが高価で手が届かないとかPC持ってないとかスペック足りないとか?でも絵を描くだけなら最低限チラシと筆記用具があればできるよね?

確かに小説はWindowsに入ってるメモ帳でもスマホぽちぽちでも書けるけど、それを言うなら絵だって今はスマホのお絵かきアプリあるし、さっき書いたチラシの裏だっていいんだよね。

二つ目。

「○○ができないから××にしました!」とか、よく胸を張って言えるもんだなって思う。謙遜のつもりだったら失礼すぎない?

私は最初から小説しか頭になくて、小説で悩んだり苦労したりしながら創作を楽しんで来た。そうやって自分が選んで一生懸命頑張ってきたものを、第一希望が無理だったから仕方なくこっち来ました!って言われてるんだよ。

「本当は野球やりたかったけど無理だからサッカーやってます」「本当はヴァイオリンやりたかったけど無理だからピアノやってます」「本当は事務職やりたかったけど無理だから営業職やってます」(思いつきを並べただけなので○○と××を入れ替えたり好きなものを当てはめて読んでもらっていいです)みたいなことだよ。そういうの字書きはもちろん、最初から絵を頑張ってきた絵描きさんにも失礼な気がする。

絵描きさんに対して絵が描けてすごいですね!と伝えたいならそう言えばいいじゃん。私も本当は絵が描きたかったんですけど…って違うんじゃないの。

この話は昔から色々言われていたみたいで「絵が描けないから小説」でggるといくつもヒットする。「そういう人は結局小説でもうまくいきませんよ」とか「最初はそれでもいいと思いますよ」とか色んな意見があるけど、今現在もともと小説が好きで最初からずっと小説書いてた者としては見かけるとシンプルにいらっとくる、という話。

端的に言うと、小説が書きたくて二次創作してるタイプの人ね(わたしもわりとそうだけど)。

こういう人ってカプ萌えとか何が書きたいとかがあんまりなくって

二次創作小説を書く

ってことが目的化しやすい傾向があると思う。

わたしは書くことが目的化しそうになったら書かないことにしています。

書きたいから書きたいときに書くのが一番。

萌えてるときに書いたものが一番萌えるし( ´ ▽ ` )ノ♡

二次創作BLは

ワタクシ様の御作発表の場

ではなく、萌えの共有手段だということを忘れないようにしなければと思います。

単純に、承認欲求のための創作をする力も時間もないってだけですけど。

活字中毒の子ども』っていうのがアスペっぽい(わたしも小説は全然読まないけどwiki中毒)ですよね。

こういう活字中毒系の字書きの方ってすごく観念的で全く情景の浮かばない小説を書く方が多いような気がします。

ずっと部屋にこもって小説ばっかり書いてるんでしょうねwwww

 

②字書き様根性

また、こういうエントリー↓もありましたね。

anond.hatelabo.jp

■小説なんて誰でも書ける


自分はとある二次創作の小説を書いてる人間なんだけど、最近「小説は誰でも書けるよねw」って言われてちょっと凹んでる。

もう15年くらい同人活動してる。二次で書き続けてて、作品が好きとか文章が好きとか言ってもらえたんだけど、その言葉を聞いてから一気に書けなくなってしまった。

確かに誰でも書けるかもしれないし、自分の書いた文章は100人並みだったのかもしれない。

もしかしたら、その発言をした人は本当に誰でも書ける(から気軽に始めてみようよ)って言っただけなのかもしれない。

だけど、自分の心を折るには十分すぎた。

なんでこんなの書いてるんだろうと書きかけのものを全て消した。

誰でも書けるんなら自分が書かなくてもいいんじゃないのか?と思った。

同じジャンルの小説書きのフォロワーが楽しく会話してるのが悔しくなった。

『小説は誰でも書けるよ』と言われるたびに、それでも書きたいから書いてるんだと言い聞かせたけどもう限界だよ。

回ってきたRTか何かに勝手に傷ついてる繊細ヤクザ。めっちゃ笑える。

辞めたら?

としかwwwwwwwwww

つーか、実際小説なんか誰でも書けるしwwwwwwww

小説は、そういう意味で厳しい世界(だからこそ奥が深い)だと思います。

わたしの長くはない同人歴でも分かることなのですが、

ストーリー漫画が描ける絵描きさんは基本的に小説も書けます!

日本語が書ければ文章は書けるし、お話が書ければ小説が書ける。

『小説なんて誰にでも書ける』は紛れもない真実

です。

実際、絵描きさんで結婚後字書きに転向してる方なんて星の数ほどいますけど、その辺の『字書き様』よりずっと明快な小説をお書きになると思いますよ(わたしは他の人の小説は読まないのであんまり分からないですけど)。

こんなしょうもないことで公共の場で

「傷ついた可哀想な私」

アピールする程度の感性じゃ、書いたものも100人並みなんだろうな。って思います。

100人並というのは万人受するという意味でもあるので悪いことではないと思います。)

このエントリーへのブコメで共感したのはこちら↓

id : misarine3 書きたくなくなったのなら辞めたらいい。また書きたくなったら書けばいい。永遠に禁じることはないよ。楽しいことをやるのが趣味だろう?(小説で食べてるわけじゃないよな)


id : bodibod 書きたくなくなったんなら書かずに居ればよい。誰も責めないし強要もしない。そこでまた書き始めずには居れなくなるか、書きやめられなかった人間だけが小説書きだ。


id : finefinethankyou 小説を書けることや小説家の端くれであることの優越感て続けてたのが、それが砕かれて書く意味を感じなくなったんだな

誰にでも書けるって言われて辞めるならその程度なんでしょ。

辞めたら?( ^ω^ )

 

③限界腐女子根性

アスペコミュ障の女性が最後の砦としてオタ活・腐萌えにしがみついている場合。

anond.hatelabo.jp

わたしも顔がアレだったら連れ出してくれる男性もいなくて悲惨だったのかもしれないな。

腐女子だけど孤独で辛い
自己紹介:30代実家住み腐女子

悩み:女性・腐女子コミュ力が高いという風潮と実際その通りであるらしいことが辛い

主張:「女性は社交的で男性は非社交的」という決めつけと男女二元論をできれば控えてほしい

「長い三行で」と言われてしまいそうなので先に結論だけ書きました。以下長いです。


TLにこんなツイートが流れてきまして

https://twitter.com/kowagari/status/1171760432207421442

女性は男性と違ってコミュ力が高いので独身であることへの社会的抑圧さえなくれば結婚しなくても楽しく生きていけるだろうといった内容です。

女オタク・腐女子専門の老人ホームを要望するツイートはこれ以外にも何度となくバズっており「腐女子 老人ホーム」あたりで検索するとたくさんヒットします。

ですがこう当たり前のように女性はコミュ力が高く友達がいるという共通認識のツイートが流れてくるとその度に自分は異常なんだろうか…と思ってしまって辛いです。

私は小学六年生から大学卒業までずっとぼっちで、学校で友達がいないということは人権がないことと一緒ですから集団生活にあまりいい思い出がなく老人ホームで毎日他人と顔を突き合わせて生活をするなんて想像したら恐怖すら感じてしまいます。

女性は男性と比べて精神的な成熟が早く、女オタク・腐女子の感じる萌えの感情もキャラの心理描写やキャラ同士の関係性から見出すことが多いというのは認めます。

女性は社会性を重視する生き物と言えばいいのか、今思うと私が学校で孤立したのも皆思春期を迎え空気を読むなどの言外のコミュニケーションスキル、多人数での意思決定、集団の中での自分の身の振り方、他人への気遣いなど高度な社会性を要求され始めた時期に完全に躓いてしまいその後リカバリーすることなく成長してしまったことが原因だと思います。

今でもどう友達を作ったらいいのかわかりませんし人とコミュニケーションをとるときに考え込んでしまって反応が遅れたりキャパオーバーだと感じることも多いです。

私が推しキャラのifストーリーを妄想したり絵を描いたり腐女子趣味に没頭し始めたのもつらい現実からの逃避の面があったと思います。純粋に作品が好きでオタクになった面もあるしリア允になれないので仕方なくオタクになった面もあると思います(オタク・サブカル文化がカジュアル化した今の学生さんだとそんなことはないのかもしれませんが)。

私は独りが苦にならないわけではないけれど他人から馬鹿にされたり怒られるよりはぼっちのほうがマシという消極的な性格と、一人で黙々と作業するのが好きという元々の気質が相まって腐女子をやっている感じです。

私は自分で妄想したり二次創作をする以上に自分以外の腐女子の書いたポエムやイラストを鑑賞するのが好きで、中学生のころはオタク向け情報誌、高校生になって携帯とパソコンを与えられてからは個人サイト日参にどっぷり浸かっていました。

そこには「ネガティブな感情で創作意欲を刺激された孤独でちょっと変わった女の子」がたくさんいました。

大学生になったころはPixivで活動するオタクが増えましたがまだ「イラストコミュニケーションサービス」という肩書き通りメインはあくまで作品であり、コミュニティやマイピク申請などで人間関係が発生しても作品や創作理念に共感した上でのものでした。

ですがTwitterはその成り立ちからそもそも日常生活と地続きのものでした。

作品発表のメインの場がTwitterに移り二次創作をしていたのは必ずしも「孤独でちょっと変わった女の子」だけではないことを知りました。

最近私のTLでは新婚さんも既婚の方も出産ラッシュで腐女子であることとリアルの充足は全く相反するものではないことを知ってしまいました。

TLには結婚して子供を育てながら同人誌をつくりイベント参加する人、独身で仕事がたいへんだけど同じジャンルの腐女子とプライベートで遊んでいる人がたくさんいます。

同人イベントが終われば焼肉アフター、公式イベントが終わればオフ会、LINEで萌えを語りあい後でその様子をスクショで投稿、イベントで売り子さんとしてお金の管理を任せられるくらい信頼できる友達、友達と泊りがけの聖地巡礼

からしたらファンタジーの世界ぐらい現実味のない話ですが女性とは本来コミュ力が高く親密な男性はいない場合でも親密な女性ならたくさんいるというのはどうやら本当みたいです。

一見楽しそうに見えて誰でも皆悩みを抱えているし、辛い日常に対してのキラキラした非日常だからこそTwitterに上げるのだということを踏まえた上でそれでも羨ましいです。

私のように自分の努力不足を棚に上げて他人を羨んだり他人が何の気なしにしたツイートを勝手に自分への当てつけだと解釈し被害者面をする人間を繊細チンピラや繊細ヤクザと呼ぶそうですがそんなことは重々承知した上でそれでも楽しそうなツイートを見るたびに自分は異常なんだと落ち込みます(あまり関係ないけれど繊細チンピラの提唱者小野ほりでぃ氏は昔と今ではネットの状況も違うしこの言葉が体のいい意見封殺ワードとして便利に使われている弊害をもたらしたことをtwitterでたいへん嘆いておられました)。

オタク趣味に縁のない女性がキラキラした投稿をするのはそもそも住んでいる世界が違うので逆にまったく気にならないのですが自分と同じ腐女子から現実を突き付けられたのはカルチャーショックでした。

つまり私が世の腐女子を孤独だろうと勝手に同類認定していたらアテが外れて勝手に傷ついているめんどくさい構図です。

ただ「つづ井さんの、5~6人の仲のいい友達がいて頻繁に泊りがけで遊んでいる人生が羨ましすぎて内容が頭に入ってこない」というツイートが5桁RTされたり、「つづ井さん」と入力するとサジェストに「羨ましい」と出るくらいなので私も羨むくらいは許されたいです。

つづ井さんといえば最近話題のnoteですが腐女子非モテ属性であることを(強がりではなく)まったく引け目に感じず人生をエンジョイする素晴らしい内容ですよね。ですがリベラルになりきれない私の中には

一部のキラキラした女性>まっとうに生きてる世の中の大半を占める一般女性>>モテないけれど一般女性の友達も腐女子の友達も多い腐女子>>>>>>私のようなモテない上に腐女子の友達すらいない腐女子

という偏見ゴリゴリかつ差別的なカーストがあり、「気の置けない友達が複数人いる人徳があり他人の生き方に干渉しない・させないつづ井さん」に対して「ぼっちかつ相対的な価値に囚われまくっている差別的な私」は二重の意味で負けているのです。

そしてつづ井さんのようなリベラル腐女子に生き方を肯定されたところで私にとってはなんの解決にもならないわけです。こちらの「童貞を馬鹿にするのを止めるのがどれだけ童貞の為になる?」と近いかもしれません。

https://anond.hatelabo.jp/20190810064323

かつてリア允がスクールカースト下位の腐女子にとって恐怖と憧れの対象であったように私のようなコミュ障腐女子にとっても大多数の腐女子が恐怖と憧れの対象であるという話です。リアルでもネットでもどこを向いても疎外感があって居場所がない。

腐女子に「楽しそうなツイートや自慢と取られかねないツイートをするな」と言う権利は私にはないし誰にもありません。見た人が誰か一人でも不快になるようなツイートをしちゃいけなかったら何も発信できなくなってしまいますし私も無自覚に誰かを傷つけていると思います。

私の不機嫌で他人の行動を制限することがあってはならないと思うのでTwitterではなく匿名のこの場で愚痴を吐き出しました。

ただちょっと冒頭のツイートのような「女性(特に同じ趣味で繋がった結束の固い腐女子)はコミュ力が高い」「同性の友達がいるのだから男なんかいなくても楽しく自立して生きていける」という決めつけをする前に「えっじゃあ女ならできて当たり前のことができない私は本当は男なんだ…」とか「コミュ力が低いのは悪いことなんだ…」と動揺してしまう奴もいることを頭の片隅に置いておいてくれるとうれしいです。

冒頭のツイートに戻ったついでに腐女子の話からは脱線しますがリプ欄まで見ると若干男性に対しての攻撃的なニュアンスを感じます。

https://twitter.com/kowagari/status/1172404210878386176

「頑迷で意固地=男性的=悪いこと」「社交的=女性的=良いこと」という偏見を感じるといいますか…。

この人がそうかどうかは知りませんがtwitterによくいるタイプのラディフェミ寄りの腐女子さんからしたら私のような男性的(とされる)気質を持っていたらたとえ染色体がXXでも攻撃対象になってしまうのだろうかとハラハラしてしまいます。

ところで全体的に女性ツイッタラーって自分と同じ性別のコミュニティや女性同士の連帯を美化しすぎていませんか?

最近も「自分が若い娘時代は世間が言うほどおばちゃんから嫉妬されている実感はなかった。それに自分がおばちゃんになった今は男が若い娘に鼻の下を伸ばすことにいい顔をしないのはセクハラや性犯罪への牽制だったとわかった。それを『自分が男から相手にされないことから来る嫉妬だ』と男性側が都合よく解釈しているのである」といった内容のツイートが一万近くRTされてたり。

いや嫉妬が原因かはわからないけどふつうにバイト先でパートの中年女性にセクハラされて困ってる女子大生とかもいるんじゃないの?知らんけど。

ではなぜ女性の結束を讃えるようなツイートがよくバズっているのかというと「女は陰湿で表面上は仲良くしていても裏では陰口を叩いたりマウントをとりあってドロドロしている」という言説が女性側からの愚痴ではなく男性が女性を叩くときの材料として使われすぎたことへの反動じゃないかなと思います。

昔からネットに溢れる女叩きは嫌いですし以前見かけた「ヲタク差別はあった/今もあると主張している男オタほどなぜか女性・同性愛者・在日外国人・障害者など自分が当てはまらない属性への差別用語を日常的に使っている説」には共感しかありませんでしたし、そんな差別意識を指摘されると「女の敵は女」とこれまた女性に罪をおっかぶせる卑怯さは本当にクソだと思います。が、そういう「女だけのコミュニティは陰湿でドロドロしてるしババアは若い娘が嫌いだし女同士男をめぐって足を引っ張り合う」などの対立煽りへの反論が「性別や年齢に関わらず世の中にはいい人も悪い人もいるんだよ」じゃなくて「『女性がドロドロして陰湿』はミソジニストがでっち上げた自分たちに都合のいいデマまたはフィクション作品で刷り込まれたイメージであり本物の女性のコミュニティは優しくてみんな仲良し」では両極端だと思います。そこまでいくと逆に小学生女児的なベッタリ仲の良いコミュニティに息苦しさを感じている女性への抑圧・同調圧力でしょう。

Loftのバレンタイン広告があそこまで炎上したのも「女の子って見えないところで足を引っ張りあってるんでしょ?」というステレオタイプにいい加減うんざりしていた女性が過剰反応してしまったのが原因だと予想します。

ちょっと前に炎上してた女性だけの街もそうですが中学生のころ男子からも女子からも増田菌がうつるぞゴッコをされたことのある私としては男性を排した健やかなコミュニティという幻想はどっから来るんだ…と不思議に思います。

彼女たちにとっては明るく賢く社交的な模範女性だけが「女性」でありの私のような性格のねじ曲がった陰キャはそもそも女性の頭数に入っていないか、もしくはいじめられ要因を確保した上での99%の女性が平和に暮らせる社会なんだと思います。

そもそも「男は~女は~」という語り口自体が生まれつきの両性具有やトランスジェンダーを無視した言説でありそれがたとえミソジニストから女性を守る文脈で使われたとしてもそれ単体で咎められるのが正常な社会になればいいのにと思います。

Twitterでは文字数制限もあって難しいとは思いますが「性格は個人差が大きいし単純な属性に当てはまらない人もいる」と前置きした上で「大多数の女性/男性にはこういう傾向がある」といった言い方をしてもらいたいものです。

実際、わたしもアスペ・コミュ障・ADHD(遺伝だから仕方ない)なので、彼女の言いたいことめっちゃ分かるんですよ。

別にアニメもゲームも漫画も好きじゃないけど、話し出すとオタク丸出しだし(暇なときWikipediaひたすら読んだりするタイプ)。

顔だけは結構可愛かったのと(女子校育ち男性恐怖症&コミュ障で昔は愛想の欠片もなかった)、受験勉強に適性があったので周りがアスペ男子ばかりで異常にモテた(アスペ男子には女子力より会話が成立する知性とX染色体の数が重要)というのが運が良かったですが、恋愛するのもしんどい・めんどくさい・対象外異性の性欲気持ち悪いっていうのがあって(普通のことなのに、今時の喪女は自称セクマイ(笑)っていうよねwwww)、男の人は好きだけど自分が恋愛対象になるのが厭だったっていうのがあって、腐に転んだ(?)かもしれない。

fujoshimama.hateblo.jp

 

二次創作してないときでも何がしかの男性を愛でていますからね(我が子含む)。

『男』が好き。

fujoshimama.hateblo.jp

というより、わたしは『女』が嫌い

この人と同じように正義ヅラで散々叩かれてきたから↓。

彼女たちにとっては明るく賢く社交的な模範女性だけが「女性」でありの私のような性格のねじ曲がった陰キャはそもそも女性の頭数に入っていないか、もしくはいじめられ要因を確保した上での99%の女性が平和に暮らせる社会なんだと思います。

わたしの嫌いな『女』を持っていない人が好き(だからリバ厨)。

fujoshimama.hateblo.jp

わたしみたいなコミュ障・アスペで孤独な腐女子はたくさんいると思いますけど、理知的(?)で孤独に強いから見た目さえちゃんとすればモテると思いますよ。 

www.fujoshimama.com

でもしかオタ活で作家様根性・字書き様根性拗らせて醜いBBAになる同人字書きが多いのは、誰でも書けるがゆえのすそ野の広さ(人口の多さ)と、手軽さ、言葉を使うという特性ゆえだなと思います。

言語は思考を支配しますからね。

 

まとめ:htr字書きが承認欲求を拗らせて高尚化するメカニズム

はい、来ました老害高尚字書き↓

anond.hatelabo.jp

■嫌いな小説書きの話
クソみたいな自己愛のはきだめ。(うん、その通り( ^ω^ ))

とある作家をネット上でもう半年くらい追い続けている。

べつに、その作家のことが好きだから追っているわけではない。

私は同人文字書きの端くれで、わたしが追っている彼女も小説を書く二次創作同人作家。

私たちは同じジャンルにいるが表向きはなんの面識もなく、オンオフともに彼女は私のことを知らない。

私が一方的に彼女を追いかけている。

と言うとまるでファンであるかのようだが、ファンと私では彼女に向けている思いがまるっきり違う。

私は、彼女が嫌いだ。

嫌いだから彼女のやることなすことを監視せずにいられない、アンチに似た心理で彼女のことを追っている。

なぜ嫌いなのか。

理由は普遍的かつ単純で、わたしは彼女に嫉妬しているから彼女のことが嫌いなのだ。

いや精確には、彼女の作品と、それを生みだす彼女の才能に嫉妬している。たぶん羨望に近い。

彼女の作品は、私の作品にはない魅力で溢れている。

読み手にすらすら文章を追わせる勢いや説得力があり、個性も情熱もある。

彼女の書く話にはまず真ん中に〝感情〟という揺るぎない芯がとおっていて、その感情を軸に人間というものがみずみずしくそこに描写されている。

自分のなかにある感情が気付けば彼女の文章に呼応し、自然と作品世界に入りこめる。

そういう、強く惹かれる引力みたいなものがあった。

それで、彼女にずば抜けた文章力や構成力があればすべてよかったのだ。

そうであれば私も素直に彼女の作品を称賛し、彼女に心酔するファンの列に加わることが出来ていた。

彼女の作品にいっさいの隙がなければ、他人の作品に過剰な自意識を持ち込み嫉妬心をいだくような事にはならなかった。

けれど、彼女の綴る文章にはどうしても、『隙』があった。

これなら私のほうが、と思わせる、あら探しをさせるだけの隙が見えてしまった。

たとえば、有り体に素人くさいと感じさせる文体や単語のえらび方、エピソードが矢継ぎ早に通過していく展開の強引さ、

状況説明を台詞に頼りすぎるところや、メインとするモチーフのわざとらしさなんかが、読んでいて私には引っかかった。

それでも、それなのに、とにかく彼女の作品は「読みやすい」の一言に尽きた。

自分の文章を読み返すときに感じる堅苦しさやとっつきにくさが彼女の作品にはなく、

自分の文章に感じる、くどいと思う描写や言いまわしを、彼女はたった数行のかんたんな表現で読者に納得させてしまう。

私がありきたりにならないようにと頭をひねって考えたストーリーよりも、彼女のありきたりなストーリーの中で光る表現や細工のほうが私には鮮やかに感じた。

「私のほうが」と思える隙があるのに、その隙間を覗けば覗くほど、私のほうが優っている要素が見えなくなった。

彼女の作品を読むたび、私は彼女よりもはるかに書けていると思える瞬間と、私は大差をつけられ彼女よりずっと下にいるのだと思う瞬間が交互にやってきて、自信と劣等感でぐちゃぐちゃになった。

そんなふうに散らかった情緒を自分の力できれいに整理することは難しく、彼女のことを「嫌いだ」と疎もうとする強い感情が、私にはもっとも手近で易しい感情に思えた。

だから、嫌いだ。彼女のことが。

私は彼女の投稿するすべての作品をブックマークしているが、ブックマークの設定はすべて非公開にしている。

彼女の作品を「好きだ」と評価すること、そしてそう評価した私の存在を彼女に知られてしまうのが嫌だった。

それは彼女の才能の前にひれ伏し、負けを認めることと同等の敗北感があってただ、悔しかったから。

彼女のツイッターにしてもそうだ。わたしは彼女のツイッターを非公開リストにいれて観覧している。

わたしが彼女をフォローして、彼女から私にフォローが返らない可能性を考えると耐えられない。先にフォローをしたほうがきっと負けになる。だから死んでもフォローはしたくなかった。

彼女がツイッターに投稿する作品にいいねやRTで触れることもしない。いいと思ったものは黙ってローカルに保存した。

負けたくなかった。

彼女の作品が好きだけど、彼女の作品を好きだと感じる瞬間は嫌いだ。

キャラクターのえがき方や心情の拾い方が絶妙だと思うけど、同時に、文章力がその熱量に追いついていなくて拙いとも思った。

しかしその拙さは、言い換えれば小説をあまり読まない人から見ても読みやすい文章ということでもあり、そのまま共感や感情移入のしやすさでもあった。

つまり彼女は、ちゃんと小説が上手いのだ。技術などは関係ない。彼女は小説が上手い。

書きたいドラマやテーマを人に伝える才能がある。私よりも。

多分、彼女の書いた小説を読んだ瞬間に本当は、私は圧倒されていた。圧倒しきるほど完全ではないのに、それでも力押しで圧倒してきた。そんな経験は初めてで、それがとにかく悔しかった。

彼女のような作品を私の技術で書けるようになりたい。でも模倣はしたくない。彼女に影響などされたくない。彼女の書く作品とかけ離れたものを書いて、上回りたい。そう思う時点ですでに影響されている。嫌だ。負けたくない。

『負けたくない』

彼女への執着の根幹にあるこの「負けたくない」という対抗心こそが、とにかく厄介でわたしを惨めにさせる。

だって彼女のほうは、端から私と勝負なんかしていない。

私の感じている、勝ち、負け、という卑しい価値観が彼女の中にはなく、そもそも彼女は私の作品など読んですらいない。

わたしは彼女に負けたくないが、

彼女はわたしのことを知らない。

最初から勝負になっていないのに、強すぎるプライドと折り合いをつけられずに独り相撲をしているだけの間抜けが、つまり私なのだ。

少し話を変える。

わたしは彼女が設置している匿名感想ツールに、よくコメントを入れる。

お題箱や質問箱やマシュマロなんかの匿名ツールというのは、一人のファンの連投によって、無数の信者の存在を作家に幻視させることが可能なツールだと私は思っている。

そして私も書き手の端くれだから、アマチュア作家が言われて嬉しいこと、作家が読者から訊かれたいこと、そういうのはだいたい分かる。理想的な匿名コメントというものを作り出せる自負もあった。

だからわたしは、匿名メッセージから彼女の純粋な信者を装い何通ものコメントを送った。

あるときは彼女の作品のおかげでこのジャンルとCPにハマった新規ファン、

あるときは昔から彼女の作品を追い続けてきた古参ファンにもなった。

それから創作のルーツについての質問や、彼女の作品にだけ感じる唯一無二の個性、工夫された演出や、タイトルと内容のリンク、読者に気づいてほしいであろう描写や箇所を、

すべて小出しで拾って「ちゃんと届きましたよ」と都度、読者からのアンサーを返してやった。

おおよそ作家が喜びそうな意見を私はいくつも彼女に送った。

それらすべてが私一人からの打算のコメントであることを知らずに、たくさんのファンに向けて何度も「ありがとうございます!」「そんなふうに言ってもらえて嬉しいです…」と答える彼女を見て、せめてもの優越に浸りたかった。

私は一度だけ、その匿名ツールからさりげなく「小説を書くのは好きか」と彼女に訊いたことがある。

彼女は迷いなく、書くのが好きだと答えた。

うまく書けなくても、理想に届かなくて悔しくても、書くのが楽しいから書いてしまうし、きっとこれからも書き続ける。そう言った。

この模範回答にも私は打ちのめされ、嫉妬で頭が燃えそうになった。

彼女が小説を愛し、小説からも愛されていることを知り、心の底から彼女を憎たらしく思った。

私はちがう。手段として書きたいと思うことはあっても、書くことが好きだと感じたことはない。むしろ書くことはつらいことだ。

書くという行為がこちらに寄り添ってくることはなく、「自分は息をするようにこれからも小説を書き続けるだろう」と根拠なく信じることなんかとても出来ない。

なのに彼女は書くことが好きだと言い、創作を信じ、私にはとうてい書けない小説を楽しみながら書いてみせる。まるで物語の主人公だ。

大きく差が開いていく感覚を味わいながら私はまた彼女の作品を読みにいって、私より劣っている要素をあげて安心しようとするけれど、

そのたび私よりも優っているところばかりに目がいって結局、コントロールできない感情だけが重くなってどうしようもなくなる。

私がこれほど彼女の作品を読み返しては否定と肯定に挟まれて息苦しくなっているというのに、とうの彼女は私の存在も、作品も知らない。

彼女はツイッターなどで、良いと思った作品は気軽に共有し、前向きにその感想を述べる(こういうところも、卑屈な私とはちがう)。

私の作品は一度も彼女に拾われたことがない。

私は彼女のブクマ作品も定期的にチェックするが、いつ見ても彼女のブクマ一覧に私の作品があがることはない。

彼女はわたしの作品を読まない。

もしかすると、同じジャンルにいるから名前くらいは目にしたことがあるのかもしれないけど……でも多分、彼女にとって私の名前などは、意識に留まることもないつまらない文字列にすぎないんだろう。

それでも、「私を知って!」とこちらから声をあげることはできない。

だって彼女はいちども、私に「わたしを見て!」と言ったことはないから。

やっぱり心では、わたしは彼女に認められたいのだ。

私を圧倒していった彼女という存在に近づきたくて、対等になりたくて、私を見つけてほしい、知ってほしい、認めてほしいという気持ちが根底にある。

そして思いどおりになってくれない彼女のことを、恨めしく感じている。

……なんて言い方をしてしまうと誤解を生みそうだが、この心理は『だから本当はあなたが好きなの』と言えるような可愛いもんじゃない。

好きと嫌いは裏表だとか、そんな収まりのいいものでも決してない。

好きじゃない。言い切れる。嫌いだ。大嫌い。

彼女が「スランプで書けない」と思い悩む発言をすれば私は「やった」と思うし、

逆に、今は筆がのっている、書きたかったものが書けていると満足する様子を見せられると、焦燥を感じる。

途中まで書いていた話がどうしても気に入らなくてボツにしたと嘆く彼女を見て、一歩前に出たような気になって嬉しくなった。

彼女の作品にブックマーク数が増えていくのを確認するたびつまらない気持ちになって、

私以外のだれかが彼女に送った匿名メッセージの絶賛コメントを見ると、そのすべてを否定したくなって腹が立った。

創作に関するマイナス感情やネガティブ思考で落ち込んでいる彼女を知れば、いつまでもそうしていればいいと胸のすく思いがする。

これが嫌い以外の何だというのだ。嫌いでなければこんな悪意は生まれない。

いっそ、彼女の作品がなくなればいいのにと思う。でも作品を消されるのは嫌だ。

彼女にどこかにいなくなってほしいとも思うが、私の追えなくなるところに消えることはしないでほしい。

もう無茶苦茶だ。

そんなに嫌なら見なければいいのに…と呆れる(あるいは唾棄する)意見が一般的で、健康的なのは分かっている。

だけど、こういう執着をそれでも続けてしまう人はむしろ、現状から楽になりたいからこそ、原因となるものを断ち切れないんじゃないかと私は思う。

わたしは彼女の才能を認められずに、必死になって彼女を妬んでいる。それはひどく不様で惨めなことだ。自分が惨めであることを自覚しながら生きるのはつらい。

だからその〝原因〟を自分の中で貶めることで、少しでも惨めさをやわらげて救われたい。貶める要素を見つけるために彼女の言動を追いかける。

楽になりたくて、楽じゃない感情にせっせと薪をくべている。

ほんと馬鹿みたいだな。

分かっていてやめられないんだから救いもない。

きっと私が彼女に正面から偽りなく本心を伝えるか、彼女から好きだと告げられることが、私の思いえがく理想のゴールなんだろう。

いや、本音は後者のほうか。

彼女から好きだと熱烈な告白を受け、抱擁でもされようものなら、その瞬間に私の中にわだかまっているぐちゃぐちゃが全てすがすがしいものに変わる気がする。

そのとき私を満たす思いは、『勝った』という勝利の喜びだろうか。分からない。想像がつかない。

何にせよ、そんな日はどうせ来やしない。昨日も今日も明日も、彼女は私を嫌うことすらしない。

すべてがむなしいまま、なにも変わらず続いていくだけだ。

彼女は今年、とある同人イベントに出る。

めったにオフ活動をしない彼女の、それが当面の、最後になるかもしれないイベント参加なのだそうだ。

そのイベントに足を運んで、彼女の姿を一目、この目で確認してみようか。

私はずっと、それを迷っている。

はい、高尚拗らせてますね。

読み手にすらすら文章を追わせる勢いや説得力があり、個性も情熱もある。

彼女の書く話にはまず真ん中に〝感情〟という揺るぎない芯がとおっていて、その感情を軸に人間というものがみずみずしくそこに描写されている。

自分のなかにある感情が気付けば彼女の文章に呼応し、自然と作品世界に入りこめる。

そういう、強く惹かれる引力みたいなものがあった。

わたし自身が字書きだから思うんですけど、若い頃って感性で書いてたんですよね。今読むと下手だなと思うんだけど、感性と勢いだけで、萌える文章が書けた

歳とると取ったなりにテクニックは多少付きますけど、感性が磨耗してくるのでストレートに萌える文章はむしろ書けなくなる

人生で書くというか、感性より少し深いもの(人生観(?)みたいなもの)がないと人の琴線に触れる作品って難しいのかなと思います。

絵描きさんは

  • 絵で魅せる
  • 絵柄を変える
  • 漫画の描き方を学び直す

などなど、たくさんの努力出来る項目がありますが、実家住みのまま高齢になった字書きの方などは人生経験を積めないまま努力出来ることもあまりなく、感性もすり減る一方なので小手先の修辞法(謎のお耽美言葉)ややおい文法(レイピストの攻とたおやかな受)みたいなのに走りがちな気がします。

anond.hatelabo.jp

オタクであることが唯一のアイデンティティだった人が、オタク対象への熱が冷めるとかなり悲惨。

昇進や勉学、他の趣味、結婚・子育てなどポジティブな理由でやむなく、とかならめでたく真人間に戻れる良いチャンスだけど、

ブラック労働、低収入、親の介護、闘病、非モテ、加齢による体力や意欲の減退など出口の見えないネガティブな理由だとマジで廃人一歩手前。いわゆる燃え尽き症候群

そして、オタク趣味無しの自分がいかに空虚な存在か、オタク趣味そのものが単に無益で野放図な消費行動に過ぎなかったか、という事に気付いてしまう。

こうなると時すでに遅し。年相応の精神的成長を獲得できなかった哀れなでくのぼうの完成。こいつらがセルフネグレクト孤独死しちまうわけ。

「そんなバカな」と思うでしょ?こんな30代後半以上の人間、マジで周囲にいっぱい居るからね。君らも気を付けなはれや。

書いたものに進歩が見られないけど書くことをやめたら何もなくなるから書くのを辞められない。

そういう方が、自分の書いたものに付加価値をつけようとして高尚化する(他カプdisとか自己評論)のかなと個人的には思います。

承認欲求で二次創作するなとは言わないけど、二次創作はあくまで『二次』なので、承認欲求でやってると煮詰まるだろうなと思います。

それで、彼女にずば抜けた文章力や構成力があればすべてよかったのだ。 

PCにしがみついて『二次』小説ばっかり書いてた結果感情も人間関係も薄い人生を送ってきて、何年も経てば自分の『お気持ち』以外に書くことがなくなるのは必然

『何が』書いてあるかが大事なのに『文章』について語りだしたらもう末期だよね。

二次書きが文章を書く、小説を書くこと自体について語りだしたら末期だし高尚化してると思う。

ファン活動の一部としての二次創作だということを肝に銘じておかないと積むと思うし、自分でも忘れないようにしたい。

同じ作品、同じキャラを愛する人が自分の書いたものを読んで萌えてくれたら嬉しいな♡っていうそれがやっぱり『二次』創作の醍醐味なので。

 

『htr高尚字書きが承認欲求を拗らせるメカニズム。』っていうタイトルで書きましたが、実際には逆で、書くことがないのに承認欲求で書いてる字書きがhtrを拗らせて『二次』創作の範疇を超えて付加価値をつけようとするから高尚化するということです。

htrると高尚化するから精進しなければですね( ´ ▽ ` )ノ♡

 

花璃。